古墳文化の話

ボランティア講演会 2002.01.26


 古墳文化は3世紀後半から7世紀にかけて日本列島の大部分の地域にあった文化です。この時期,北海道と琉球列島には別の文化があり,日本列島には三つの文化が併存していました。日本列島の各地に村を幾つか集めたくらいの小さな「クニ」がたくさんあった弥生文化から,統一的な中央集権が一応成立する律令国家誕生にいたるまでのさまざまな社会の変革をしたのが古墳文化ということもできましょう。古墳と呼ばれる塚をもつお墓が各地に作られました。前方後円墳と呼ばれるお墓が日本列島の古墳文化の特徴です。
 弥生文化の後半には,東北南部から九州北部にいたる日本列島の大部分の地域に小さな「クニ」が続々と生まれて,群雄割拠の状態が生じ,武力解決を含む争いが各地に繰り広げられました。それぞれのクニには王と呼ぶべき首長がいて,その首長はクニの軍事的・政治的支配者であるとともに神と人々をつなぐ宗教的な権威をもっていたと思われます。クニの間の争いを収めるために設けられたのがクニ連合です。このクニ連合は政治的に統一体を作るだけでなく,宗教的にも同じ祭祀をもち共通した儀礼を有していたのです。
 古墳時代の間に,後の天皇家だけが頂点にたち,他の家系の王(豪族)たちは中央国家の貴族・役人になる構造が次第に作り上げられたのでしょう。古墳のもつ意味も変化しました。古墳時代は前期(3世紀後半〜4世紀), 中期(5世紀),後期(6世紀〜7世紀前半)に分けられています。7世紀の古墳を終末期紀古墳とする考え方もあります。
 前期古墳に葬られる人はクニ連合の一員であると同時にそれぞれのクニの王でもありました。クニの中では神と人々の仲立ちをする性格をもっていたのです。王が亡くなればクニは存亡の危機を迎えるのです。その亡骸を邪悪なものから護るために鏡などによりそれを近付けないようにし,竪穴式石室の中に厳重に遺体を葬ることが行われました。
 中期古墳では古墳は首長の権威を測るステータス・シンボルの役割をしていました。いかに大きく立派に見える古墳を作ることができるかが豪族の関心の的になったのです。各地の最大規模の古墳はこの時期に作られています。河内・大和とともに吉備にも大型の古墳が見られます。豊富な武器の副葬品が見られるのも特徴的なことです。
 後期古墳に埋葬される人はクニの王という性格は薄くなっています。古墳の規模を争うという風潮も下火になります。統一国家への序列づくりが進んだのでしょう。来世の思想が定着してきます。来世でも現世と同様な生活が可能になるように種々の道具が副葬されます。後から葬ることができる横穴式石室が採用されます。壁画古墳も出現します。
 中央集権国家設立に向けた種々の制度・技術が中国から移入され,それを消化する作業が急ピッチで進められたことも古墳文化の重要な役割であったといえましょう。